石見畳ヶ浦と賽の河原
賽の河原洞窟に猫島が見える

 私たち人間は、他の動植物と同様、銀河宇宙の中の一塊、地球の表面に一瞬の生命を生滅させているだけの存在である。地球誕生から46億年、氷河期など様々な変貌を遂げて現代に至る。その不思議さの物語を、地表のあちこちが伝えてくれている。
 浜田中学での遠足で、私は学校からひと山越えて国府町唐金(とうがね)に出た。そこに展る異様な海岸風景に、中学生の私は息を呑んだ。それが石見畳ヶ浦と称ばれる、地表の痘痕(あばた)のような隆起海座であった。今から半世紀も前に、私は確かにこの岩盤のどこかに腰をおろして、弁当を開けていたのだ。
 山陰本線下府駅から2kmばかりで、高さ20mの海蝕崖がそびえる。潮波の破壊が生んだ大自然の爪跡である。中世代の火成岩(花崗岩・安山岩)、古生代の変成岩(千枚岩)などでできている。2〜3千万年前の堆積といわれる。洞窟に入る。この海蝕洞は「賽(さい)の河原」と称ばれ、奥まったところに「穴観音」が置かれ、漁業者の海上安全を守っている。周辺にも多くの地蔵が並んでい

 

て、私はすぐに下北半島にある霊場恐山を連想した。生者と死者が相見合う心霊域は、このような薄明の空間ではないのか。その時、更に私は、島根半島の加賀浦にある「潜戸(くけど)」を思い起した。あの小泉八雲までが訪ねた。そこにも「賽の河原」があり、八雲の繊細な描写が『日本暼見記』に残されている。
<岩屋の奥のうす暗いところに、白い石に莞爾(かんじ)とほほえみをたたえている地蔵の顔が見える。地蔵の前とそのぐるりには、形もない灰色のものが、得体もわかたずに寄りかたまっている。崩れた墓場かと思われるような、無気味な堆積だ。‥‥どこといわず、何千何百という墓石をぶちこわしたような形のもので、足の踏み場もない。ところがだんだん暗闇に目がなれるに従って、それは墓でないことがわかった。じつは、それは、長い時間をかけて、丹念に骨折ったあげく、上手に積み上げた石や小石の塔なのであった。「シンダ コドモ ノ シゴト」とわたしの俥屋(くるまや)が、いかにも情のこもった笑みをうかべながら、そうささやいた。‥‥>
 「穴観音」には若い男女の姿があった。水子供養をしているように見えた。
 1872年(明治5年)2月、浜田地震によって隆起した「千畳敷」(波蝕棚
)については、「天然の博物館」として研究素材の宝庫である。風化や水蝕で残った「団塊」に自が向いて行く。

文と写真・山根火土志(山根美神館・館主)

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