木喰上人の千手千眼観音が護るむつみ村
  風が吹き晒す堂内に木喰佛の慈光 須佐高山を下って、国道191号線を跨(また)ぐとすぐに須佐大橋が豪壮な姿を見せる。日本海への眺望はよいが、眼下は高所恐怖症には立ちすくむ迫力である。そのまま国道315号線が、むつみ村、阿東町を経て、国道9号線の中国山地の動脈へ通じる。実に快適な山間のミニ・ハイウェイといえる。
 1955年(昭和30年)吉部村と高俣村が合併してできたのが「むつみ村」。人口3000人に充たない山村に、文字通り老若男女が睦み合う、安らぎの山野がひろがっている。1993年(平成5年)では、1kmあたり38人のゆっ
たりした生活空間、73日に1組の結婚、182.5日に1組の離婚という「
村勢要覧」のデータが微笑(ほほえ)ましい。村を代表する木がひのき、花がこぶし、獣が野兎、鳥が雉子(きじ)になっている。日本列島から年々歳々、滅び消えて行く大自然の豊かな表情が、ここでは近代化との見事なバランスを保つ。それは村人たちの文化への優しい思いと実践によって支えられているように感じられる。
 

帰郷来から七年になる私は、地元益田市民の冷淡さに比べ、周辺地域からの熱情に心を打たれることが少なくない。四年前、山口県立徳佐高校高俣分校の文芸部員11名が、山根美神館の取材に訪ねられた。その秋の同校文化祭で、その成果が大々的に展示され、館主を感激させている。地元の写真家親子による写真展が山口市で行なわれ、勇壮な奥阿武むつみ太鼓の演奏を拝見したこともある。
 高佐地区下領には、明治末年から「下領神楽舞(神笑座)」が続いている。六郷舞(六調子)と商人舞(八調子)があり、10種類の舞を伝承する。石見神楽が石見から出雲、長門への広域伝播を培ってきたのは、戦国動乱による人的交流の名残りなのか。御舟子養雲院の大内義隆供養塔や高佐下禅林寺の吉見正頼息女墓、吉部上菅谷の早川対馬守父墓、広瀬上の清月院跡の伊藤対馬守など史跡が散在する。人々が確かに生き、死んで行ったのである。
 何よりも私を驚かせたのが、木喰佛の存在である。高佐上中央大迫の観音堂内に、67cmの木彫の千手千眼観世音菩薩が鎮座している。何の指定も受けず、何の防禦もなく、剥(む)き出しになったままだ。私もそっと触れてみた。甲斐国古関村丸畑に生れた木喰五行菩薩は、その九十三年の生涯に日本廻国順礼の中で千躰佛刻像を発願、成就した。その心の輝きを村人たちはどう受け止めるべきか。課題は少なくない。

文と写真・山根火土志(山根美神館・館主)

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