人生を問い求める歓び
(1)日本海の妖精(フェアリ)、山根美神館
 今日も日本海の朝が明けた。朱夏の頃の激しい射光は弱まってはいるが、次第に山の端に移動しながらも、中秋のいま、黎明は何のこだわりもなく、前面の日本海表を真紅に染めて、わが山根美神館を清浄な光のカーペットで包み込む。至福のひとときである。
 いまから15年前、山陰日本海の磯里の一角に、白堊(はくあ)3階建の洋館が出現した。東西両文化の統合を夢見て、「ミューズ(美神)カン(館)」と命名された。
 <無名な人たちの芸術作品を中心に、世界各地の民芸品が寄り合って、美神(
ミューズ)の苑(その)が薫(かお)っています。古代日本の暁明(あかつき)の地に誕生したこの美神館を起点にして、益田、津和野、萩、山口から日本海沿岸をひろく文化の帯としてとらえ、日本各地に息吹く手造りの素朴な心と呼び交(か)って、世界へ向けて「美のアンテナ」をひろげたいと願っています。>(『山根美神館ご案内』)
 20世紀末、人類は科学文明の頂点を究めた後の虚脱感に襲われ、人間性の崩壊を、ちょうど土石流に圧倒される山林田畑家屋住民のように、なす術もなく眺めているのではなかろうか。政治経済教育文化のあらゆる分野にわたって、将来の展望が持てない閉塞状況に置かれている。
 私たちの何人が、生きている真の実感を持ち、限られた時間の生涯を心から享受しているであろうか。現在では、もはやそのように人生の意義を正面から真面目に考えるという意欲は極端に低下し、古典的遺物になり果てた。いたるところ心の闇は救い難く深い。
 朝日の儀式が終り、海辺には一日の様
々な生業(なりわい)が始まっている。私たちは現実をただ絶望しているわけにはいかない。眼前に展る大自然の壮大な律動に、私は人間を超えた生命の存在を直観する。何かが在る。適当な言葉を見い出すまで、私はそれをヨーロッパ風に「妖精(フェアリ)」と称(よ)ぼう。妖精たちが自由に動き出した。石見の海や山に、美神館と一緒になって、闇の中に光を探し始めたのである。人間が失ってから久しい、ささやかながら優しく美しいものを妖精たちは知っている。美神館では、それが何なのか、どこにあるのかを、妖精たちと一緒になって、語り学ぼうとしているのである。

(2)鴎外山石長磯公園の憩い
 山根美神館の裏山は平凡に見えて、これまで数々の歴史を刻んできている。
 700年もの昔、蒙古襲来に備えて、石見沿岸に18砦が築かれた。石見守護益田氏が各地頭に命じたもので、飯浦のは「鐘ノ尾砦」と呼ばれている。昨春、山城研究家、岩崎健氏(日原中学教諭)の詳しい調査を受けた。今でも土塁石垣が残り、堅固な構築であったことを物語る。私は仮の山道を造っているが、将来はもっと整備して登り易くしたい。
 幕末では、津和野藩のお台場となって、異国船打拂いなどの要衝に当る。長州馬関のような事件はなかったが、四境戦争から萩の乱など、長州藩との深い係わりに際し、厳しい歴史の動きを目撃してきた場所である。山国の津和野藩にとって、飯浦、高津の両港がどれほど重要な役割を果したか、容易に理解できる。その上、海は生命の源なのだ。そこで、私は山麓の雑木を伐採して、平地を開拓、テーブル、椅子などを置いて、人々の憩いの場所を作った。石見と長門にま

 

たがる歴史的地理的な場所ということで、「石長磯公園」と呼称した。ついでに、裏山全体を「鴎外山」と名付けることにした。津和野藩医の子として生れ、若き日のドイツ留学に、「舞姫」と日本近代文学を飾る最高の交情を印した森鴎外を、津和野藩の重要港を見下すお台場に記念することは意義深いと考える。洋上遥かに幾多の波涛を超えて、今もなお石見人森林太郎の「舞姫」への想いがひろがる。
 一代の名弁士、徳川夢声が母のお腹に入った所が飯浦である。104年前のこと。だが、地元の対応は実に冷たい。私は、海岸の巨石を公園の中腹に運んで、「夢声碑」としてみずから鑿(のみ)を入れている。4月13日の誕生日には既に2回、「夢声祭」を催した。心を閉じ、表現力の貧しい石見人に対して、夢声は碑の中から叱咤(しった)し続けている。
 3年前、週刊誌『FOCUS』(9月14日号)に、鴎外山から鑪(たたら)ヶ崎一帯の俯瞰(ふかん)写真が大きく載った。掛川正幸氏が重いカメラ持参。石見から長門にかけて最高のスポットだと賞讃された。氏は夜の大敷網にまで体験取材。その後、TV局などから問い合わせが続いた。
 今や、美神館から鴎外山一帯は、『人魚のふるさと』として、夢を持てない現代人の心のオアシスになっている。権力に媚(こ)び、権威ぶる人たちは寄り付かない。美神館を包む磯風に吹かれ、妖精たちの歌う声を耳にする時、人間は誰でも大自然に帰る。自分の虚勢が恥ずかしくなって、逃げて行くのである。鴎外山を背景にして、静かに鴎外の遺言に向き合ってみよう。石見人の再生が厳しく問われる。
 〈生死別ルゝ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス森林太郎トシテ死セントス墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス〉私は自分の骨灰を「夢声碑」の下に散布してもらいたいと願っている。

(3)『日本海ルネサンス』を日常的に
 この夏、私はアイルランドの旅に出た。都会を離れれば、全島が石と緑に覆われ、羊と牛が散在する大西洋の非情の島は、何とわが石見と似ていることか。まず、決して経済的に豊かには見えない。いたるところ過疎が常態化している。徹底的に農漁業を土台にして生きなければならないようである。
 だが、人々の表情に暗さがない。大英帝国からの独立を勝ち取った誇りと自由感が、W.B.イエイツたちの『アイルランド・ルネサンス』を受け継いでいるのではないか。石見人の私たちに、彼等と同じ矜持(きょうじ)と情熱が育(はぐ)くまれ、日常の中で力を持つようになれば、『日本海ルネサンス』はすぐに視界に入ってくる。

山城精機 社内誌(1997年11月)掲載
文と写真・山根火土志(山根美神館・館主)

山根美神館3階の窓外に展る暁雲の錦模様
山根美神館3階の窓外に展る暁雲の錦模様

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