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「益田十景」の随一へ歩を進める。
飯浦港を左手に見ながら、右手の断崖に沿って坂道を登ると峠の頂きに似た空間が開けていて、昔から人馬がひと休みした所という。その地点からほぼ300度に展る海空のパノラマは息を呑むような絶景。眼下に飯浦港が横たわり、山根美神館の瀟洒(しょうしゃ)な建物の背後を伝って行くと県境に当る鑪ヶ崎(たたらがさき)。そこから三生島(さんしょうじま)がひとっ飛びの位置。更に右方へ進むと水平線に行儀よく浮んでいる高島。そのまま目を移せば、浜田港近くの馬島に辿り着く。石見の半分が一望できるというもの。周布の大麻山、最近始動した三隅の火力発電所の煙突。益田沖から石見空港への航空誘導塔が手に取るようである。
大展望を済ませて50メートルほど下ると、左手の樹木の間から眼下に異様な奇岩が波しぶきを浴びている。あの歌聖人麿の像そのものではないか。人麿生地の戸田人麿社の近くの海(二見ヶ浦)に、天然の造化の不思議を賛嘆させられる。「人形」を「ジンギョウ」と読ませるのは、この「人間の姿形」に由来するのか。
太平洋戦争の最中、飯浦小学校の二、三年生だった私は、教室で作文などを書いていると、「人形の鼻で馬車が落ちた !」という叫びを何度も耳にした。往時
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東方、大和に向けた人麿像
は樹木が立ち込んで、道幅も狭く、天下の難所であったのである。崖下に置かれた「人形道碑」は明治十五年一月に建てられ、飯塚まさおりによる漢文の書が、この道造りの工事の苦労を物語っている。山頂にあった道を現在地に移したのは1848年(嘉永元年)のこと。崩れかけた隣の地蔵像にはその苦難の表情が残されてはいない。
文と写真・山根火土志(山根美神館・館主)
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