武蔵が熊本に来てからゆかりのある観光地を見て歩こう
宮本武蔵
宮本武蔵は剣道の達人である当理流、宮本無二斎を父として天正12年(1594年)に作州の宮本村に生まれ、父の許で文武の基礎教養を受けていた。16才頃武者修業に出て17才で伏見、岐阜、関ヶ原の戦いに参加し諸国を周って兵法者に会い60数度の試合をしている。21才で京都の吉岡との試合、29才で豊前の巌流島の佐々木小次郎との試合は有名である。31才〜32才では大阪の両陣にも加わっている。その後の約20年間は子弟の指導に当たって流儀を広めると同時に鍛錬に励み、兵法の技術より武道の奥義を究め武蔵の人格を築き上げた。51才で豊前の小倉藩主小笠原家の賓客となり、57才で肥後熊本の細川家に仕え、兵法の指導教授をしながら禅に親しみ、書画彫刻その他の芸術に心を傾け、兵法三十五ヶ条や五輪書を著して自己の流儀を明らかにした後62才で世を去った。(年代や歳は少し前後しているかもしれない)
千葉城跡
細川忠利は武蔵の名誉を重んじ、客分として招き千葉城の大邸宅を与えた武蔵はここに5年住み62才で死去した。現在はNHKの建物が建っており昔をしのぶ環境では無い。千葉城跡である石碑はたっている。宮本武蔵旧居跡及び武蔵使用の井戸があるようだが、今回は見るのをやめた。
島田美術館
武蔵会の会長だった島田真富さんの遺志で生まれた美術館である。
細川藩の資料、美術品がある。建物はあまり大きいものではないが、宮本武蔵の遺品展示室に所持刀、書画などがあり書籍を集めたコーナーもある佐々木小次郎と試合した時の木刀(摸造)もある。
雲巌禅寺
南北朝の頃、当時の支那(中国)からの帰化僧によって建立されたものである。
釈迦三尊、不動明王堂、十六羅漢、五百羅漢、宝物館、霊巌洞がある五輪書は武蔵が霊巌洞に参籠し、死に先立つこと2年、彼が60才の時に書きはじめ死去する7日前に門弟に渡したとされている。今回は見なかったが宝物館には武蔵の自画像、小次郎と試合したときの木刀が保存されている様子なので次回見学したい。
立田自然公園
細川家の菩提寺泰勝寺の跡であり、細川幽斎、夫人、細川忠興、ガラシャ夫人と4つの廟が並ぶ“四つ御廟”があり、四つ御廟左手の僧侶の墓の中に武蔵と親交のあった春山和尚の墓がある。和尚が武蔵の供養の為に建てた塔が、その横に建っている。
武蔵の引導石は公園の手前の道路脇にありうっかりすると見過ごしてしまう。武蔵の棺はこの石の上に置かれ、春山和尚が引導をわたしたとされている。
武蔵塚公園
武蔵塚は美しく整備され公園化されている。武蔵はかねてより細川公の知遇に応えるために、“御行列を地下にて拝し、御武運を護らんと思うなれ、わが遺骸は街道の往還に向かって葬るべし”と言っていた。遺言どうり、甲冑を着け太刀を持った姿で埋めてあるという。
武蔵の位牌は泰厳寺に祭られていたが空襲(昭和20年)で焼失してしまったことは大変残念なことである。
宮本武蔵記念碑
かれの記念碑は、小倉に1基、尾張に2基、熊本に1基ある。熊本の記念碑は霊巌洞のすぐ近くにあるが武蔵300年祭にあたって昭和16年6月3日に除幕式を挙げたものである。
以上の観光地は福岡市から自家用車を利用して少し早く出発すれば日帰りのコースであるが、日本三名城のひとつである熊本城(名将、加藤清正が7年の歳月をかけて築いた城)と国の特別史跡水前寺成趣園を見ると少しきつい。
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