開拓部落でのタバコ栽培がふるさとの思い出
私の生まれ育ったところは、島根県の石見地方といわれる、益田市と浜田市のちょうど中間に位置する、那賀郡三隅町岡見青浦というところだ。寒村といえば、語弊があるかもしれないが、そういう雰囲気の場所であると思っていただければ結構である。
そもそも私がこの寒村に生まれるきっかけとなったのは、祖父が戦後、仕事がないという事情で、山口県の宇部市から、政府の方針の基、この地に入植したことにはじまる。
当初は開拓部落と呼ばれており、入植者数は十数家族。山林をブルドウザーで段々畑に整備しただけで引渡されたため、石ころ、切株だらけで、それを取り除くだけでたいへん苦労したようだ。その後野菜を作って生計を立てたが食べるのがやっとの状態であったと父に聞いた。昭和41年か42年ごろから、タバコの栽培をはじめ、多少ではあるが、生活が楽になったように思えた。しかし、このタバコの栽培は人手が掛ってたいへんであった。温床を造って、そこに種をまき苗木となったら、畑に植えかえ、生長に合わせて害虫駆除のため、消毒、大きくなったら葉の摘み取り、そして乾燥、選別、出荷。そのなかでよく手伝いをしたことを覚えている作業は乾燥の前準備である。小学生時代の夏休みの午前8時ごろから昼12時ごろまで毎日手伝いであった。いま思うと勉強はまったくしなかったが、大自然のなかでのびのびと遊んだこと、両親が目の前で働いている姿を見ながら、生活できたことは、自分にとってとても良い影響を与えていると思う。
突然のふるさととの別れ、それは、昭和47年の大雨で山が崩れ、畑がほとんど埋まり、再開拓は断念となる。一家は、思い出深いふるさとを去ることとなった。
私のふるさとは、野に、山に、海に、遊んだ開拓部落にある。諸行無常という言葉があるように、世の中はすべて移り変ってゆくことが本質ではあるが、心のなかのふるさとは、永遠に変わることはない。
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