新郷貝塚
新郷貝塚は埼玉県川口市の東側にあります。当社のある青木地区とも鳩ヶ谷市中心部を軸にしてちょうど東側になります。地元に住んでいると実感がわきませんが、植木栽培で東洋一とも言われる安行地区がすぐそばにあるので、新郷貝塚もたくさんの木々に覆われています。
現在は遊歩道なども整備され、自然豊かな公園になっています。
縄文時代の貝塚は全国に1600ヵ所もあり、新郷貝塚は埼玉県内でも有数の貝塚になっています。
新郷貝塚は縄文時代後期から晩期(紀元前2000〜500年)にかけて縄文人が捨てた貝殻からできており、全体的に淡水の貝を中心に堆積しています。実物を見るとちょうど現代のシジミのような貝が何層にも積み重なっています。全体の形は三つの貝塚が馬の蹄のような形状で谷を囲むようにあり、南北150メートル、東西120メートルほどの広さがあります。
発掘は明治26年に始まり、三軒の竪穴式住居跡や土器、土偶、石器、さらに貝殻のほかに獣や魚などの骨も出土しています。魚の骨の中にはクジラの骨も入っていたそうです。
新郷貝塚を作ったのは縄文人ですが、最新のDNA分析などの結果から現在のアイヌ民族に似ていることが分かっているそうです。日本人は昔、日本海が陸続きだった頃に北方から渡ってきたきた人々、主に中国・朝鮮周辺から渡ってきた人々、南方から黒潮に乗って渡ってきた人々の血が混ざり合って現在の日本人が生まれたと言われていますが、縄文人はまだ混ざり合う前のアイヌ民族で構成されていたようです。
ところで貝塚と聞いて多くの方が「縄文人が食べた貝殻のゴミ捨て場」という印象を持っているのではないではないでしょうか。実は私も同じでした。動物の骨などは狩りの道具や釣り針などに活用することはできますが、貝殻は利用価値もなく捨てるしかなかったという訳です。
しかし貝塚のことを調べてみると実はただのゴミ捨て場ではなかったようです。
縄文時代の遺跡や遺物が再評価されるようになったのはごく最近のことで、貝塚に対する評価も見直されるようになりました。特に近年は(物質的ではない)精神的な側面がクローズアップされ、その評価の中で、貝塚とは自然の恵みや使えなくなった道具類、そして死者たちに感謝すると共に、供養と再生とを祈った「聖なる送りの場」であったことがほぼ定説となってきているそうです。
貝塚は集落のすぐ近く、しかもその多くは太陽が沈む西側に築かれています。また、貝塚には貝殻の向きを揃えて埋めた痕跡や、埋める前に貝殻を丁寧に洗った痕跡なども残されています。
さらに、人骨の周辺からは死者が生前愛用していたと思われるブレスレットやイヤリングなどの副葬品も多数発掘されています。貝塚が単なる「ゴミ捨て場」であったとしたら、決してこのような形では残らなかったはずです。
貝塚ひとつとってみても、私たちが学生時代に習った内容が最近の研究・調査で間違っていたことが分かってきています。
たまには以前習ったことを振り返って、「あれは今でも定説なのだろうか」と考えてみるのも良いかもしれません。
新郷貝塚への交通
JR京浜東北線川口駅東口から大竹経由 安行出羽行バス(川22)で 大竹入口バス停下車、徒歩3分にあります。
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