春日部市の誕生

かすかべ駅前


 江戸時代に、日光街道の宿場町として粕壁(かすかべ)は栄えていました。昭和29年には一町四村が合併し「春日部市」が誕生しました。

春日部の伝統産業
 市域の伝統工芸である箪笥・桐箱の生産は戦後の需要が大きく、販路も広がったため新たな製造業者も誕生しました。
 昭和28年の統計では箪笥・桐箱関連の工場は193工場で春日部町では最大の産業でした。昭和29年からは箪笥・桐箱の展示即売会や春日部駅構内に特産物展示場が設けられ、地場産業を積極的に宣伝販売を行うようになりました。箪笥・桐箱とともに麦わら帽子・麦わら真田も戦前からの地場産業で昭和30年代には国内消費量の50%を生産していました。また戦後には戦災によって疎開してきた業者によって押絵羽子板の生産が盛んになってきました。
かすかべ湯元温泉
箪笥・桐箱について
江戸時代の始め頃、日光東照宮造営のために全国から優れた職人が集まったが彼らはその後もこの地にとどまり、豊富な桐材をもとに、「指物」「文庫」「箱枕」「整理箱」やその他、庶民向けの小さな日用品を作り続けました。天保年間には、数十件の指物師や箱屋がこの地に住んでいたという記録も古文書に残されています。以来、三百年もの間、その匠の技が受け継がれ、現在は桐箱では全国一の生産量を誇る春日部の特産品として人気を呼んでいます。
春日部で作られる桐箱の種類は、初期の「箱枕」「整理箱」をはじめ、「抽出し」「文庫」「針箱」などのインテリア小物、さらに「貴金属」「金属性品繊維」「陶漆器」「書画」「骨董類」「茶」「華道用品」「装飾品」などの高級品の入れ物として、広く愛されています。そもそも桐は、木目が美しく光沢があり、防虫、防カビなど、優れた性質があることで古くから知られています。また火や水に強く、耐久性も高いことで、昔から様々な道具や家具に重宝されてきました。
春日部八幡神社参道
押絵羽子板について
江戸時代に左義長(さぎちょう)羽子板に押絵を併用したものを造っていましたが、その後戦争疎開により浅草の押絵職人が春日部に移住し技術を伝えたといわれます。面相師、押絵師の両者の手を経て立体感のある「押絵羽子板」が出来ています。
麦わら真田について
5本まとめて組み紐状に編んでいく技法を「真田(さなだ)」と呼んでいます。この真田編みの技法を持っている人は10名程ですが、皆80歳代の高齢です。

 昔、春日部は半商半農の地であり農家の人々は農業の傍ら、箪笥・桐箱などを作って売っていました。その為現金収入があり、各地から現金欲しさにいろいろの物売りが足を運んできました。その中に富山の薬売りもおり、富山は昔から組み紐の技術があり、その真田編みは薬売りから流れてきたという説があります。 また、真田という名前は真田幸村と関係があるのではないかともいわれています。

温泉(かすかべ湯元温泉)
 春日部にも温泉が出てることを最近になって知りました。今度行こうと思っていますので、その時の感想を後日追加したいと思います。
(財)埼玉県中小企業振興公社が「かすかべ湯元温泉」を紹介しているホームページアドレスです。
http://www.kasukabeonsen.com/

春日部八幡神社 神社(春日部八幡神社)
 今から約800年ぐらい前、源頼朝が鎌倉に幕府を置いていた頃、粕壁の浜川戸に春日部重実という人がおり、大袋・大沢・桜井・新方・増林あたりを領地としていました。
 この重実の子に実景、そしてこの実景の孫に重行(春日部治部少輔時賢)という人がいました。彼は長い間相州(現在の神奈川県)にある鶴岡八幡宮を敬神していて、しばしばの合戦にもその霊護を蒙ったので、遥拝(はるかに礼拝すること)のため鎌倉時代元弘年間(1330年代)に鶴岡八幡宮を模して造営したと伝えられている「春日部八幡神社」があります。
この神社はホームページを公開しており、何時でも参拝が出来るようになっています。
春日部八幡神社のホームページアドレスです。
http://www.fujinet.ne.jp/~oshida/
 参道入口には、在原業平と当神社の故事を伝える「都鳥の碑」があります。昭和57年10月に御鎮座六百五十年祭を執行。御社殿等の大修造工事が実施され、記念事業として「薪能」が奉納され、その後一年おきに演能されています。


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